未読であり、読むとしても優先順位はかなり後なのですが、それにしても。
「ダブル村上」という、一九八〇年代頃の文壇で流行った言葉をご存じでしょうか。
村上春樹と村上龍という、世代と苗字以外には何の接点もない二人を合わせて論じることで、あたかも時代の最先端に触れているかのように読者を幻惑する、実に空虚な文学論です。村井弦斎と村上浪六をいっしょにするようなものだ、って余計わかりづらいか。小林多喜二と小林秀雄を「ダブル小林」扱いするようなものだと言ったら、少しはそのばかばかしさがわかるのではないでしょうか。
言い出したのが吉本隆明かは知りませんが、確か栗本慎一郎との対談で、得々として「ダブル村上」論を語っていたのが印象に残っています。
その後吉本隆明は、地下鉄サリン事件を起したオウム真理教の教祖を最高の仏教者と讃えたり、「反原発で猿になる」と反核・反原発を罵倒しながら(『週刊新潮』二〇一二年一月 五七巻一号)亡くなりました。ほんと、何一つまともな言を残さなかった人です。