核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

吉本隆明の矛盾について整理します

 (コメント欄にも同様の文章を書きましたが再掲します)

 一括で投稿せよとのことなので、 id:ChaldeaGecko 様との一連の議論をまとめてみます。長文になります。
 まず発端は、吉本隆明著『僕なら言うぞ!』中の、

 

引用A「冗談じゃない、戦争だって人殺しはいけないよ」

 

と、

 

引用B「もし万が一、どこかの国が攻めてきて日本国内をめちやくちゃに荒らして、人も殺すし、悪いこともするし、というようなことが起こったらどうするんだ、平和主義者のお前はどうするんだって言ったら、そのときは個人の喧嘩と同じで何でもするさ」

 

の矛盾を、私が指摘したことでした。「何でもするさ」なら、文脈から判断して(お忘れかもしれませんが、これは「なぜ人を殺してはいけないのか」についての議論の一部です)「人を殺すこともするさ」であると読解したわけです。
 それに対してあなた(id:ChaldeaGecko様)は、

 

コメント「「何もしない」無抵抗なら「喧嘩」ではありません。また民間人が歯向かってもゲリラと見なされるだけです。「戦争だって殺人はいけないよ」だから、*兵士に自分を殺させることもいけない*のです。したがって逃げるしかありません。」

 

 と、吉本がゲリラ戦を否認し、無抵抗主義者であるかのような読解を提示されました。そこで私は、「学者ならせめてその「誤読の余地のない文章=表現」を引用して根拠を示してください」との要請に答えて。吉本がゲリラ戦抵抗論者である証拠として、

 

引用C「では仮に日本国の本土が戦場になったらどうするか。自衛隊は「非戦条項があるから戦わない」というかもしれない。それならそれでかまわない。でも、国民一般はそれにしたがう必要はありません。自衛隊が戦わないといっても、ぼくらは目の前で妻子や家族が殺されたら勝手に戦争をすればいいんです。家族や友人を殺されたら、「よし、やってやろうじゃないか」となるのがふつうです。もっとも、ぼくら一般国民だけでは組織的な戦争はできませんから、その場合はゲリラ的な戦いになるでしょうが、でも戦えばいい。勝手に戦えばいいんです。」

 

 を提示しました。論点を明快にするのが目的であり、混乱させるためではありません。
 歴史上、敵を殺さない戦争、敵兵を殺さないゲリラ戦というものはありません。引用Cは吉本が「戦争なら人を殺してもいい」と考えていた証拠であり、やや文意不明瞭だった引用Bのわかりやすい言い替えです。
 ゆえに、引用A「戦争だって人殺しはいけないよ」と、引用B「そのとき(戦争時)は個人の喧嘩と同じで何でも(人殺しでも)するさ」は矛盾します。
 なお、ブログでもふれた橋本昇二氏のご論文、「要件事実原論ノート 特別章その1 (藤村啓教授退職記念号)」も、「吉本隆明氏も、侵略軍に対する反撃行為として、侵略軍の兵士(他人)を殺してもよいとしている。」(59頁)と断定していることをつけくわえておきます。検索すれば無料で読めます。