核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

差別し、差別される関係を超えるには

 「差別されたから、差別し返す」

 「火をつけられたから、火をつける」

 「ミサイルを撃たれたから、ミサイルを撃つ」

 

 それらは間違っていると私は思います。正直なところ、伊藤野枝の小説と岸田首相の反撃能力演説が奇妙にオーバーラップして、いささか気分が沈み気味です。

 では、差別されても抵抗せず耐え続けなければならないのか。ミサイルを撃たれても無抵抗でいいのか。それにも賛同できません。差別そのもの、戦争そのものをなくすための、なんらかの(暴力的報復ではない)手を打たなければならないと思います。

 今度書く論文では、以前に書いた(そしてボツになった)書き物より一歩進んだ、答えを出したいと考えています。雑誌に掲載されるかは別として。もちろん載ればいうことはないのですが。