こちらは栗原著よりも抑えた筆致で、伊藤野枝の生涯を描き出しています。残念ながら、小説「火つけ彦七」への言及はありませんでした。
野枝には、
「そのときどきの愛人の思想を理解し、共鳴し、それに同化することによって自分を育てていったにすぎず、独自の思想を持てなかった人だ」(一四九~一五〇頁)
との同時代評があり、「これは的はずれな批判ではない」と著者も同意しています。
しかし、小説「火つけ彦七」(一九二一)を読み、その激烈な差別否定、そして暴力否定にふれた後では、野枝は大杉栄にないものを持っていたと私は考えています。
二〇二二年の現実から逃避して、百年前の些事の考証に溺れているわけではありません。
「反撃能力の増強」を訴え、防衛費(と称する攻撃費)のための大幅増税を国民に押し付ける岸田自民党政権の姿は、私には、差別への反撃の手段として火を選んだ彦七と重なって見えます。そうした現実を変えるためにも、伊藤野枝の反差別・非暴力思想は百年後に召喚されるべきだと思うのです。