人に差別されたから人を差別し、火をつけられたから自分も連続放火犯になる。
それが伊藤野枝の小説「火つけ彦七」の主人公の行動原理であり、認めがたいものですが、しかし彼は狂気ではない、と私は考えます。「共感」してはいけない行動原理ですが、彼の差別され続けた半生の痛み、放火で全財産を失った苦しみの記述は、読者(少なくとも私)の心の底に迫るものを持っています。悪ではありますが狂気とは呼びたくありません。
もし真の狂気と呼ぶにふさわしい思想があるとすれば、
「差別される前に先制差別する。そうすれば差別はなくなる」
「放火される前に先制放火する。そうすれば火事のない平和な世界になる」
といった類の思想でしょう。そんなやついるわけないと思われるかも知れませんが。