なるべく具体的な書名は出さずに論じようと思います。
私が現代思想に類する書をあまり紹介せず、明治や古代ギリシアの本ばかりこのブログで扱っているのをまわりくどく感じる方もいらっしゃるかも知れませんが、私としては世界平和への最短距離をめざしているつもりです。
現代思想とか現代の批評に類する本は、私にとっては党派性が強すぎるのです。ごく最近もそういう本の一冊を読みましたが、味方の党派をほめ敵の党派を叩くだけの傾向にうんざりしました。それがウヨクがサヨクを叩く本であっても、サヨクがウヨクを叩く本であっても、同じようにそれらは私を疲れさせます。そういう敵対関係がなぜ生じるのか、そのこと自体を問うていないからです。
明治や古代ギリシアにだってもちろん党派や敵対関係はあるわけですが、二〇二三年の私からはいい感じに距離がおかれています。アカイア人とトロイア人のどっちが正しいか、自由党と立憲改進党のどちらが正しいかなどどうでもいいことです(いや、後者はちょっとどうでもよくないかな)。
真の問題は敵対関係がなぜ、いかにして生じたかであり、ホメロスやプラトンやアリストパネス、福地桜痴や村井弦斎の書物はそうした問題意識に応えてくれます。彼らに党派性が絶無というわけではありませんが、二〇二三年の人間の目からは、そうした党派性は蒸発しているのです。
もちろん現代の新刊にもチェックは怠っていませんし、シャンタル・ムフの『闘技学』の日本語訳が出るのを待ち望んでもいるのですが。私にはムフでさえ、マルクス色という党派性が強すぎるように思われるのです。