国会図書館サイトのデジタルコレクションで、一通り読んでみました。
文体や、物語の語り口から、どうも長野楽水とは村井弦斎の別名と思われます。
特に「和郎」「和女」と書いて「おまへ」と読ませる二人称。弦斎の特徴です。
被差別部落出身の主人公が、苦難の末に海外に出て出世していく物語です。
「新平民も旧平民もあるものか」といった、人物のセリフレベルで差別を否定する言葉は多く見受けられるのですが、ご都合主義な物語内容がその意識に追いついていない印象を受けました。
最近私が発掘した『水の月』(一八八九(明治二二))も被差別部落の問題が扱われていまして、弦斎なりに関心があり、差別の解消をめざしていたことはうかがえるのですが、どうも正面からこの問題に取り組んでいないようです。
これから『水の月』で作品論を書く身としては気が重いのですが、私までが差別問題を避けて通るわけにはいきません。
なお、長野楽水=村井弦斎説については、ブログ「古書の森日記」(2005年8月29日)でも考察がなされていたことをつけくわえておきます。