八月六日というと、広島にアメリカ軍が原子爆弾を投下した日ということで、原爆のことばかりが話題になりますが。
そうなるに至った経過、日本がアメリカと戦争をするに至った経緯にさかのぼらなければいけない、というのが私の持論です。
今回は出典は省略しますが、太平洋戦争開始~開戦直後に、ある「日本を代表する批評家」が発言、発表していた戦争論を引用します。
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林 時に、米国と戦争をして大丈夫かネ。
小林 大丈夫さ。
戦場は楽土である。兵士等は仏である。
(略)
反戦思想といふ様なものはもともと戦争にも平和にも関係がない。
小林 僕自身の気持ちは、非常に単純なのでね。大戦争が丁度いゝ時に始つてくれたといふ気持なのだ。戦争は思想上のいろいろな無駄なものを一挙に無くしてくれた。
要は我々はこの提携は戦争と深く結付くべきであるといふことを茲に覚悟しなければならぬと思ふのであります我々は必勝の信念を固めて居ります。勝つことに於て英米が勝算がある筈がない。英米が撃滅された暁に於ても我々の総和は続くといふ覚悟が必要だと思ひます。私の発言は終ります。
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出典や細かい年代は、
をご覧ください。口をきわめて戦争を賛美しています。
彼一人が悪いとは言いませんが、こういう「文化人」たちが、勝ち目のない戦争をやめるにやめられない雰囲気を醸成し、ついに二発の原爆投下に至った、のはまちがいないところです。
あきれたことに小林秀雄は、こうした膨大な戦争賛美を、戦後に出た全集ではすべてなかったことにしています。小林と共に戦争を賛美していた批評家たち(河上徹太郎、福田恒存、中村光夫その他有象無象)も、口裏を合わせて、自身も小林も戦争に反対していたように語っています。
そんな「全集」を真に受けた戦後の批評家たちの多くは、
「小林秀雄はなぜ戦争に、黙って処したのか?」
などと、ありもしない問題を大まじめに論じ、小林を戦争への抵抗者と評価する本まで出るありさまです。
「あやまち」は過去の話ではなく、現在進行形なのです。
「彼ら」(戦争賛美者たち)に、あやまちを
「繰り返させない」こと。それが三発目の原爆を防ぐ道です。