私はこの論文に奮発させられました。
「啓発させられました」のほうがていねいな表現かも知れませんが、同論文から受けた感想には、いくぶん「憤激」「憤慨」要素も混ざっており(つまり、いくらかは不満なのです。佐藤氏や伊藤計劃作品に対してかは別として)、しかし何かを書きたいというエネルギーを受け取ったことは確かなので、「奮発」と表現しました。
『ハーモニー』『虐殺器官』はだいぶ前に図書館から借りて読みました。が、佐藤論について何かを述べるとなると、フーコーやアガンベンを勉強し直し、できれば佐藤氏の近著『死政治の精神史 『聞き書き』と抵抗の文学』(青土社 二〇二三年七月刊)も読まねばならないようです。
奮発を「冷ます」期間も兼ねて、図書館で勉強してこようと思います。