核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

村井楽水「人世必要の学問を論ず」(『東京経済雑誌』一四四号 明治一五(西暦一八八二)年一二月三〇日)

 先月の弦斎まつりでも話題にのぼった、弦斎が「村井楽水」という号で函館から投稿したという論文。私はだいぶ前に国会図書館所蔵資料のコピーを入手していたのですが、うかつにも忘れていました。

 なお「人世」は「人生」の誤字ではなく、原文のままです。

 一八六四年生まれ、当時まだ十代の楽水が考えた、人間世界に本当に必要な学問とは。

 

 「衛生」と「経済」です。

 「衛生」の学とは健康を保つための学問。責任を果たし事業をなすには健康が第一。

 そして「経済」とは人類が政府を立て(お、社会契約説?)、衣食住の需用(原文のまま)を充たすために不可欠な学。人類は経済区域の中で経済事業を行う者。

 楽水は「自由交易」を正しいとし、「干渉保護」をまちがいとする経済観に立っています(社会主義なんかは出てきません)。

 だというのに、日本では圧制政治家が人民を愚にし、卑屈な学者は孔子孟子のうかつな説(あ、これ楽水の意見ですからね)を唱えて、前述のような実用的な学問から人民を遠ざけてきました。

 徳川政府の圧制時代には、衛生や経済の学が行われなかったのも怪しむに足りません。しかし、時代は文明開化。三六〇〇万人(当時の日本の人口?)中の半分は女子、男子も半分は農民、工商士族も幾分かは頑固卑屈な、文明のなんたるかを知らない者。

 文明の真味を知る先覚者は残りのわずかの人々のみ。人類第一の要務である「身体」「財産」を尊重せずして、何の文明開化でしょうか(このへん、いささか論理の流れがつかみづらい文章です)。

 衛生学の方は学者たちの見解がだいたい一致しているのですが、経済学は諸説百出、「貴金説」「重農説」「権衡貿易論」「商業規律論」などがあり、「自由交易」の真理(と、楽水はまた主張します)を妨げる者は欧米文明国にも多いのです。いわんや我が国では、いたるところに間違った経済学が充満しています。世人はかつての迷霧を出てふたたびまた迷露(原文のまま)に入るなかれ。

 

 強引にまとめてみました。十代の青年の主張としては立派なものですが、つっこみどころもあります。アダム・スミスなんかが主張した自由貿易というのは、政治上の自由主義とは別物なのですが、どうも混同している疑いがあります。

 とはいえ、後の村井弦斎の特性である、実用主義の傾向はうかがえます。約二十年後の代表作『食道楽』でも、台所の衛生とか節約料理とかを熱心に説いています。