核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

阿久澤麻理子『差別する人の研究―変容する部落差別と現代のレイシズム』(二〇二三年九月刊 読む予定)

 なかなか興味深い本の広告が回ってきました。

 私は大学院研究生時代に、文学における差別を扱った論文を書きました。

 扱った作品は木下尚江『火の柱』(一九〇四)、島崎藤村『破戒』(一九〇六)、夏目漱石『坑夫』(一九〇八)の三つ。

 着目点は、差別される側(労働者とか瀬川丑松とか坑夫とか)ではなく、差別する側の人々(伊藤博文とか校長とか、『坑夫』ならその語り手とか)が、どのように描かれているかです。自明のことではありますが、差別の原因は差別される側ではなく差別する側の心理にあり、そこを分析するところから差別の解消法を探すべきなのです。

 その後は反差別から反戦に関心が移ったこともありましたが、その問題意識は持ち続けています。戦争も、かり出され巻き込まれる兵士や民衆に責任があるのではなく、あおり立てそそのかす者たちに責任があり、彼らこそ分析し解剖されるべきなのです(今回は固有名は出しません)。

 核兵器についても、書かれるべきは『ヒロシマ・ノート』よりもむしろ、『マンハッタン・ノート』または『モスクワ・ノート』『ペキン・ノート』なのです(断言)。

 阿久澤著の題名は、まさにそうした私の問題意識に答えるものです。これは読まねばなりません。まず私自身が「差別する人」に陥らないために。そして多くの「差別する人」や「差別される人」を救うために。