とっくに誰かが言ってそうな論ではありますが、自分なりに論じてみます。
『平家物語』でも『機動戦士ガンダム』でもいいのですが、よくできた物語というのは、直線的な「筋」以上の、幅と奥行きを感じさせてくれるものです。「ああ面白かった」だけでは済まず、「もうちょっとこの物語の世界にひたっていたい」という欲求を起こさせるものです。
で、続編、外伝、二次創作、アダプテーション(他メディアへの移行)といった、新たな物語への需要が生じるわけです。以下、ガンダムを例にとると。
時間軸上の続編。七年後の戦役を描いた『機動戦士Ζガンダム』他。
同一時間での別な空間における外伝。アムロのガンダムとは別の戦場を描いた『ポケットの中の戦争』『08小隊』。
特定のわき役にスポットをあてたアダプテーション。テレビ版一回分のエピソードを映画化した『ククルス・ドアンの島』。
安彦良和氏そっくりの絵柄で、ガンダムの名場面や名セリフを戯画化する『トニーたけざきのガンダム漫画』。
映画『ククルス・ドアンの島』は結局見なかったのですが、それ以外の「宇宙世紀もの」と呼ばれる、『機動戦士ガンダム』から派生した作品はあれこれ視聴し、堪能しました。つくづく、元の物語がよくできていたからこそ、これらの枝葉が茂ったのだと思います。『平家物語』が戦記ものというジャンルを確立し、能や謡曲などの派生作品を産んだように。
大きな物語は死んだ、なんていう人もいますが、「大きな物語にのっかりたい」という人々は(私も含めて)、いつの時代にもかなりの数が存在するのです。自分で超大作を書くのはムリだけど、超大作のおまけなら書ける、あるいはそれも書けないけど読んであれこれ妄想したい、という人々は。
悪いことだとは思いません。マルクスのような、リアルでの暴力を引き起こさずにはいられない粗悪な「大きな物語」への欲求に比べればずっと。