エゥーゴとのいつ果てるとも知れない戦いに、少しむなしさを感じる心境に入ってきました(実のところ、私がときおりシヴィザードだのギレンの野望だのといった戦争ゲームに没頭するのは、その心境がめあてなのですが)。ちょっと平和論に戻る気分になりました。
果たしてジャミトフやギレンのような独裁者たちにも通用する、「戦争の止め方」はあるのか。ありそうにないですが、それではわが単著『戦争の止め方』はいつまでたっても完成しないのです。私がいま感じているような戦争のむなしさを、彼らに伝達する術はないものでしょうか。
酒井萌絵氏がグルスゾルの本(未訳)を評した、「闘技的民主主義は持続可能か」中にあった「闘技的平和」という語は、私に進むべき方向を示してくれたように思います。全人類が対立も内紛もなく暮らすのは不可能なのだから、対立や内紛を戦争にまで悪化させない、持続可能な平和状態をめざそうという発想。当ブログの文脈で解釈すると、ギレン総帥に『ギレンの野望』で遊んでもらい、好戦性を発散してもらおう、といったところでしょうか。
戦争の止め方というと、
「国際機関で侵略国を制裁する」とか
「戦争指導者に直接、平和を訴える」
といったあたりを思いつくかもしれませんが、それぐらいのことは明治日本の文学者たちも考えていました。それらのアイディアを小説に書いたのみならず、その想定される問題点をも書いていました。一言でいうと、それらは人間の善性に期待しすぎているために実現困難なのです。
一方、前述のような闘技的平和、人間の闘争心や好戦性を前提とする平和論はというと、以前扱った小川未明「野ばら」のような童話もあることはあるのですが、私が今欲しているのは、人間集団の排他性、攻撃性を十分にふまえた上で、それを暴力や戦争にまで悪化させないテクニックを描いたモデルです。最近では小説・戯曲・童話のみならず詩にも手を広げているのですが、どうも上記のモデルたり得る文学作品は見つかっていません。
石川啄木「我等の一団と彼」という小説は、題だけは魅力的だったんですけどね。「我等の一団と彼等の一団」の紛争回避を扱った小説は意外と少ないのです。それが見つからないからこそ、ゲームにうつつをぬかしているわけですが。