昨年末に図書館から借りた本を延滞してしまいまして、『新潮』は借りられませんでした。
とりあえず、ななめ読みした感想を。
柄谷が古代イオニアのイソノミア(無支配)思想に期待をかけているのはわかるのですが、資料の裏づけにとぼしい気がしました。残ってる一次資料はけっこうあるはずなのに、なんでヘーゲルだのマルクスだのを引用するんだか理解に苦しみます。マルクスの博士論文はギリシア哲学(デモクリトスとエピクロス)なんですけど、専門家ではないでしょうに。それにしても、マルクスでさえ博士論文書いてるのに私ときたら。
ただ、ホメロスの二大叙事詩の結末に、暴力の互酬性の否定をみている点だけはさすがです。それだよ視聴者が求めているものは。