核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

柄谷行人 『「世界史の構造」を読む』 インスクリプト 2011

 学部・修士時代の私は、柄谷行人の『探究』シリーズの愛読者でした。たしか私が修士論文を書いてるさなかに、『可能なるコミュニズム』なんて、今まで積み重ねてきた仕事を台無しにするような本を出してくれまして、おかげで私は柄谷どころか学問そのものに嫌気がさし、自堕落な数年間を送ることになったものです。
 その後の、消費組合だの地域通貨だの世界共和国だのと、成果をみないままめまぐるしく変転していく柄谷は、私にはもはやまったき《他者》でした。ところが、今回これをめくってみて、ソクラテス以前のイオニア自然哲学がえらく好意的に扱われているのを知り、ずいぶん久しぶりに柄谷を読み返す気分になったわけです。
 『探究1』『探究2』や、(たぶん永遠に)単行本化されない『探究3』が20代なかばの私にとって魅力的だったのは、柄谷がマルクスフロイトスピノザといった自由意志を否定する者たちの言葉を引きつつも、彼らの暗鬱な世界像を打破する道を探している、ように見えたからです。

 (2021・3・23追記 ローマ数字が文字化けしていたので算用数字に直しました。『探究3』はやっぱり単行本化されませんでした)
 本書でのイオニア思想への熱い語り口を読んでいると、その頃のことが思い出されてきまして。

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 ソクラテスは哲学の創始者ではありません。哲学の起源はイオニアにあり、それがその後抑圧されたのちに、ソクラテスにおいて回帰したのです。(略)イオニアのポリスの原理は、一言でいうと、イソノミア(無支配)です。これはデモクラシー(多数者支配)と同一視されますが、ハンナ・アーレントがいったように、異質なものです(『革命について』志水速雄訳、ちくま学芸文庫)。デモクラシーにおいては、自由と平等の原理は対立するものです。自由はしばしば不平等をもたらし、それを平等にすることは自由の抑制をもたらす。これは、アテネでも近代民主主義でも同じです。ところが、イソノミアでは、各人は自由であるがゆえに平等である。
   ※

 ・・・イソノミアについてのより精細な考察は、「『哲学の起源』という論文として出版する予定です」とのことですが、待ちきれないので自分なりにイオニア哲学に手を広げてみようかと思っています。
 その前に、ソクラテスについて自分なりの評価をまとめておかなければ。

 追記 「哲学の起源」は、2011年7月より『新潮』誌で連載中だったそうです。うかつでした。明日はまだ図書館が開いているはずなので、さっそく読んでみます。