核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

ジャンルに上下なし。作品に上下あり。

 二日間も休んでしまったことをお詫びします。大きな文字では書けないのですが、テレビゲームに没頭しておりまして。
 いや、私はテレビゲームというジャンルを、たとえば映画よりも下に見ているわけではありません。すぐれたゲームは、ヌーベルバーグ映画なんかとは比較にならない感動を与えてくれます。
 私はそもそも実写映画というやつを見て感動したことがほとんどないのですが(子供の頃見た『タワーリング・インフェルノ』ぐらいでしょうか)それでも実写映画というジャンル自体が小説やゲームよりも下だとは思いません。ただ、映画評論家と称する方々の素人目にもわかる権威主義(自分では動画ひとつ作れないのに、なんであんなに偉そうなんでしょう)と、スポンサー・プロデューサー側の「制作費○億円!驚異のCG技術!!」といった悪しき物量主義が、すぐれた実写映画の出現をはばんでいる、とだけは言っておきます。ここ数年の、なつかしのアニメを実写化した映画のうち、後世に残るものが一つでもあるでしょうか。
 照明技術の進歩が女形による歌舞伎を衰退させたように(福地桜痴はいちはやくそれに気づき、女優の育成計画を小説『もしや草子』で書いています)、実写によるテレビドラマや映画は映像技術の進歩によって衰退していくと私は見ています。その後に何が来るか。もしかしたら小説というローテクジャンルがふたたび脚光を浴びるかもしれません。その時に備えて、「製作費ゼロ円!」が取り得の文章技術をみがいておきたいと思う次第です。
 なお、私をここまで熱くさせた『ギレンの野望 ジオンの系譜』と『ゼノギアス』については、いずれ「ゲーム」という書庫を設けて論じたいと思います。ゲーム業界も、10年ぐらい前から悪い意味で映画的になってきまして、ついていけなくなった私は元祖プレイステーションしか持っていないのです。これでも昔は「次世代型32ビット機!」とか言われたものです。