核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

杉本健 『海軍の昭和史 提督と新聞記者』(文藝春秋 1982)その1

 アテナイ年代記はしばしお休みにして、平出英夫大佐についての資料を紹介します。
 著者は明治44年生まれ、昭和11年から8年間朝日新聞東京本社の政治部員として海軍を担当、戦後は産経新聞に移った方です(著者略歴より)。以下、()内は私のコメントです。
 
 叛乱軍に射たれたと伝えられていた首相・岡田啓介は生きていた。首相官邸から変装した岡田を救出した何人かの中に、軍令部の第三部員、平出英夫中佐が加わっている。岡田がまだ現役で軍事参議官のころ、平出は少佐で岡田の副官をつとめたからである。
 (80ページ。2・26事件の時です。意外な活躍)
 
 白鳥(敏夫)のローマ時代に、海軍の駐在武官だったのは、平出英夫大佐である。
 平出が報告して来る電報に眼を通す、井上(成美)軍務局長は、平出の意見や情報分析を、細かくチェックし、時には、用箋一枚たっぷりのコメントを付けて部内に回した。陸軍武官、有末精三からの連絡電報についても同様だった。
 「平出だって、あの男はフランス語が達者で、パリで補佐官もやっているが、ローマへ行ったのは、ほかにイタリア通がいないから回されたんダ。気の毒だが、イタリアってものをよく呑みこんでいない。白鳥なんかの話をハアハアといった調子で鵜呑みして、そのまま本省へ送ることがあるヨ・・・・・・」
 と井上が、平出の報告を評したことがある。
 (116~117ページ。井上成美は、「イタリアなどは、頼りにならんヨ!」派でした)
 
 昭和十六年五月二十七日は第三十六回「海軍記念日」だった。(略)
 夕方、海軍省から朝日新聞社に帰って来て、(略)夜勤当番の次長・春海鎮男に呼ばれた。
 「同盟から、エラく長いのが回ってきたぜ・・・・・・、どうする?」
 「平出(英夫、海軍大佐)のラジオ演説でしょう。使わなくてもイイですヨ、やめて下さい・・・・・・」
 「ボツにしておくか!ヨシ・・・・・・」
 (193ページ。JOAKで放送した講演「海戦の精神」の原稿です。対米開戦を正当化する内容。朝日新聞が本当にボツにしたかどうかは、自分の眼で確かめてみます)
※追記 ボツにしてませんでした。2012年8月26日の記事と画像(http://blogs.yahoo.co.jp/fktouc18411906/archive/2012/08/26)をごらんください。
 
 駐伊武官から東京に帰ったばかりの平出は、現地直送のヒトラームッソリーニびいきをまき散らしている上に、こうした空気(引用者注 海軍省上層部の親独伊化)を察知することに極めて勘のイイひとであった。
 (196ページ。山本五十六はこうした三国同盟派の空気に憤っていたそうです)