核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

非暴力戦争―田河水泡『のらくろ大尉』(『少年倶楽部』1938年11月号)を読んで―

 当ブログは開設当初より、「核兵器および通常兵器の廃絶」を訴え続けているのですが、困ったことになりました。
 もし核兵器も通常兵器も使わない、非暴力戦争が実現してしまったら、絶対平和主義者はどう対応したものでしょうか。現実にはあり得ないにしろ、少なくとも理念の上では、戦争の哲学的意味を考え直すことになりそうな問いかけです。
 以下、『のらくろ大尉』1938(昭和13)年11月号―日中戦争下です―よりあらすじを抜粋。
 
 北方の国境を越えて侵入して来た山猿軍。
 のらくろ大尉「戦車、飛行機をたくさん出さないと負けるかも知れません」
 ブル連隊長「平気ぢやよ、実弾を使ふのは惜しいから、無手勝流でやれ」
 この無茶な命令に、部下は「実弾がなければ肉弾の突撃あるのみであります」と力みますが、のらくろは「わが軍の犠牲を少くして敵を全滅する方法はないかな」と、なんとかして命令と心情の折り合いをつけようと悩みます。
 そして次のコマで「よい考へがある」と、磁石と蝿取紙を使った珍戦術を思いつきます。山猿軍の戦車は磁石に足止めされ、歩兵は蝿取紙でべたべたになり、敵味方ともに死傷者を出さずに戦闘は決着します。
 破片二等兵「一発の弾も使はずに、敵軍生捕とはあつぱれですね」
 のらくろ大尉「戦は頭の使い方で勝敗がきまるのだ」
 
 ・・・いかにも昭和初期のまんがと思われるかも知れません。戦争の「現実」とかけ離れているのは確かです。
 ただ、この作品には、「味方のみならず、敵の犠牲さえも可能な限り出さない戦争」という理想が掲げられていることは確かです。私が『のらくろ』を軍国主義まんがとはみなさない由縁もそこにあります。かといって反戦とも言えないわけで、こういう中途半端な感想になってしまったことをお詫びします。
 ほめる気なのかけなす気なのかどっちなんだ、と言われたら、困っている、というのが本音です。