明治文学研究者以外の方にはどこが面白いんだと言われそうな話です。私も実はそんなに紀行文に詳しい訳でもないのですが、いつかは調査すべき分野なので。
箱根大涌谷での、石橋理学士の馨少年への文学論の続きです。56/177。
※
文学者が書いた紀行文などを折々読むと何処の山を記してあつても同じ形容詞だから可笑しいネ、(略)
もし仔細に観察すれば一草一木も各々異なる所があつて理学者にでも書かせると山毎(ごと)に其形容を異にせねばならぬ、然(しか)るに何(ど)の山も同じ形容では読んで其山を想像することが出来ん
※
で、地質学や植物学の新知識を総動員した、文明流の紀行文を提唱するわけですが・・・。
国木田独歩の「今の武蔵野」が発表されるのはこの翌年(1898)ですが、それ以前にも美文調を脱した、分析的な紀行文はあったのではないかという気はします。今日は小島烏水や正岡子規を読み返してみるつもりです。