核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

『別冊歴史読本 日本海軍軍艦総覧』 新人物往来社 1997

 11月23日に続き、また軍艦本に手を出してしまいました。
 本来の目的を忘れないうちに、戦艦富士の項を書き写しておきます。
 排水量が12、649トンと書かれている以外は(『連合艦隊 上巻』では常備排水量12、533トンとありました。誤差の範囲内でしょう)、スペックは以前の記述と同じです。今回は日露戦争後の「富士」の行く末を。
 
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 英国製(テームズ鉄工所)だが、日本で初めて一万二千トン級の戦艦として知られ、(略)
 十八ノット、三〇センチ砲四門の「富士」は、日露戦争では第一艦隊の主力艦の一翼を担った。
 日露戦後も生きつづけ、大正元年に一等海防艦、さらにはボイラー換装などで運用術練習艦、大正十一年には運送艦となった。
 さらに横須賀軍港吉倉海岸に係留して、浮き校舎として海軍航海学校の施設となり最後まで使用された。解体は戦後のことである。
 (64ページ)
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 解体は戦後。瑞鶴や大和より長命でした。大日本帝国の盛衰を見届けた艦といえるでしょう。