核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

オマル二世の事績

 ウィキペディアでは「ウマル二世」と表記されていました。西暦720年に39歳(在位2年半)で病没した、イスラム教国ウマイヤ朝のカリフ(教主)です。
 以下の記述は前嶋信次『世界の歴史8 イスラム世界』(河出書房新社 1968)より。

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 かれは平和主義者だった。人びとが神の道に戦うというのは口実で、実際は戦利品が欲しいためだと考えていたから、即位するとすぐコンスタンティノープル攻囲軍をよびもどし、各方面への遠征をも禁じ、地方の総督には性格重厚な人物を選び任じた。
 前代のカリフたちが、武人や詩人、歌姫や楽師などにとりまかれていたのにたいし、かれの側近は、イスラム神学者、法学者などで占められていた。
 かれが在位中もっとも苦心したのは、税制の改革だったようだが、オマル一世が夢みた理想的イスラム社会を、そのままに実現しようとした形跡があり、これは時代や環境の変化にたいする理解が貧しかったかれの側面を物語っている。
 (略。ウマイヤ王朝が衰亡に傾き、現実的な政治家が必要な時期に)
 オマル二世のような善良、高潔な理想主義者が難局に当ったことは、王朝にとっても、またかれ自身にとっても、不幸なことといってよいであろう。
 (163~164ページ)
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 ・・・イスラム教というのは発足当初から戦闘集団であり、文中にあるオマル一世(第二代正統カリフ。二世の母方の先祖)もシリアやエジプトやペルシアの征服者だったわけですが、その子孫の中には平和主義者もいたのです。
 イスラム教への信仰と平和主義を、オマル二世はどう調和させていた(あるいはできなかった)のか。Ciniiで一本だけ日本語の論文が見つかったので、次回の調査リストに入れておくことにします。