核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

村井弦斎『日の出島』「東雲の巻」 その2 超特急

 関東発明会の総力を結集し、ついに馨少年の発案した細菌撲殺剤が完成します。
 さっそく駿河国静が浦(沼津あたり?)で静養中のお富嬢に届けることになります。
 お富嬢のほうも無聊をかこっていたようで、つい交通機関への不満を語ります。
 
 
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 「是れが西洋ならば随分斯ふ云ふ処へ住宅を拵へて毎日滊車へ乗つて東京へ通ふと云ふことも出来るけれども我邦の遅い滊車では迚(とて)も爾(さ)う云ふことは出来ない、譬(たと)へば沼津と東京の間は八十六哩(まいる)あるから西洋の滊車の様に一時間五十六哩も駛(はし)れば二時間足らずで東京へ行けるけれども今の滊車では急行列車でも四時間かゝるし通常(なみ)の列車では五時間と二十分かゝる、(略)
 早く文吉さんの太陽熱が滊車に利用されて一時間百哩も駛る様になれば宜い、爾(さ)うすれば妾(わたし)は此地(こっち)へ住まつて毎日東京へ通ふけれども」
 (近代デジタルライブラリー 『日の出島 下巻』 21/498)
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 時速百マイルというと時速160キロ。新幹線なら余裕です。おかげさまで、国会図書館への日帰りもできるというものです。
 明治30年代には4~5時間もかかってたとは。明治時代の汽車についても、少し調べてみたくなりました。