第一次大戦期の『婦人世界』についての記述。
※
「婦人世界」は同社(引用者注 実業之日本社)の至宝で、全盛期(大正十一、二年頃)には発行部数三十万を算したいいう。何しろ部数は、売れたといっても七、八千部から一万部前後も出ればいい方で、大概の雑誌がせいぜい二、三千部止まりだったのだから、「婦人世界」の躍進は異例のことだった。
(略)
その全部ではないまでも、同誌の声価を高めた最たるものは村井弦斎氏の連載小説だった
(51~52ページ)
※
…そのわりには、『子宝』や「里親」は反響があまりなかったような。