核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

『春秋左氏伝』 その1 向戌・韓宣子・陳文子の戦争廃絶論

魯の襄公の二十七年(紀元前546年)に開催された、恐らくは世界初の国際平和会議。

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 宋の向戌(しょうじゅつ)は晋の趙文子(武)とも、また楚の令尹子木(屈建)とも仲が良い。そこで諸侯に戦争を罷(や)めさせて名を挙げようと思った。戌は晋へゆき、趙孟(趙盾)にその話をした。趙孟はこれを大夫たちに計った。韓宣子が言うには、
 「戦争は民の悩むこと、費用を食う虫、小国の大禍だから、罷めにしようという意見さえあれば、だめとは思っても、承諾せねばなるまい。でないと、楚が引き受けて諸侯を集めるであろう。そのときわれわれは盟主の資格をなくしてしまう」

 (略。こうして晋・楚両国の合意が得られた。次に行った斉の国では陳文子が)

 「晋も楚も許したのに、われわれがどうしていやと言えよう。その上、人が戦をよすというのにわれわれが許さなかったら、民に恨まれるにきまっている。そんなことができようか」
 斉の人は向戌に許した。秦へいった。秦も許した。すべての小国に告げて、宋で会合をもよおすことになった。

 (竹内照夫訳『中国古典文学大系2 春秋左氏伝』平凡社 1968 293ページ)
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 この『春秋左氏伝』の時代の古代中国というのは群雄割拠でして、毎年のようにどこかの国がどこかを攻め、親子兄弟で後継者争いをしたりで「春秋に義戦なし」という言葉もあるぐらいですが、ついに転機が訪れました。それも人類史レベルでの。
 「君」ではなく「民」の悩みだから戦争をやめようなんて、なかなか出てくる発言ではありません。古代ギリシアアリストパネス反戦劇を、百年は先取りしています。
 ただ、上記の各国代表の発言からも読み取れるのですが、どこの国も本音は利が第一でして、衣の下から鎧がのぞく会議になることは想像できるわけです。
 この後の展開もけっこうおもしろいので、何回か追ってみます。

 (2014・7・12追記 紀元前547年ではなく同546年でした)