核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

クラウゼヴィッツ『戦争論』の将軍論

 「将軍はいかにして兵士を統率するか」といった文章を探して『戦争論』を読んでみた結果、かろうじて以下の箇所が見つかりました。

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 (フリードリッヒ大王の苦戦ぶりについて)
 これら一切が軍隊の全機構の過度な摩擦なしに行われたと信ずることができるだろうか。最高司令官の精神は、測量技師の手が観測儀を動かすごとく、易々とそういう動きを惹き起こすことができるだろうか。飢渇した悲惨な兵士達の艱難辛苦の光景を眼前にして、指揮官や総指揮官は心を切り刻まれはしなかっただろうか。愁訴や疑惑の声が彼の耳に届かなかっただろうか。普通の人間にそういうことを敢行する勇気があるだろうか。そして、最高令司官(原文のまま。誤字かと)の偉大さと無謬性に対する強い信頼感がなかったならば、そのような緊張は不可避的に軍の士気を阻喪させ、秩序を失わせ、要するに、軍事的徳性を破壊しはしないだろうか。―ここにこそ尊敬すべきものがある。この奇蹟的実行をこそわれわれは驚嘆しなければならないのである。
 クラウゼヴィッツ戦争論 上巻』清水多吉訳 現代思潮社 一九六六 二〇四~二〇五ページ
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 芥川の小説の場合は、兵士達はN将軍の「偉大さと無謬性に対する強い信頼感」を抱いているとは読めないので、あてはまらないようです。
 なお私は、フリードリッヒ大王が兵士達の艱難辛苦を無視して戦争を強行したことについて、尊敬も驚嘆も感じません。