核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

小林秀雄「杭州」の捕虜殺害場面

 毎度のことながら、戦後版では削除された箇所です。
 火野葦平のトーチカを「四日間で強引に突破した」という談話と、「舟は三潭印月に向ふ」という記述の間。
 「×××」等の伏字は、初出誌にあるとおりです。

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 その時の事だが、火野君は七人の兵を連れ、一番大きな奴に、機銃の死角を利用して近付き、這ひ上つて、通風筒から手榴弾を七つ投げ込み、裏に廻つて扉をたゝき壊して跳り込み、四人を斬つて、三十二人の正規兵を×××で縛り上げたと言ふ。一たん縛つた奴は中々殺せんものぞ、無論場合が場合なので、わしは知らなんだが、夕方出てみると壕のなかに×××××××××おつた。中に胸を指して殺してくれといふ奴があつての気の毒で××てやつたがな。
 (小林秀雄杭州」(『文藝春秋』一九三八(昭和一三)年五月 三一〇ページ)
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 ……小林が日本軍への批判として書きとめたのかというとそんなことはなく、「やはり日本の軍隊は立派である」(三一四ページ。これも戦後版からは削除)と書いてます。