この「ふくだつねあり」という人は、旧かな旧字体に変てこなこだわりを持っていました。当ブログの過去ログでは「恆存」と「恒存」を混用していましたが、文字化けを避けるため、今後はなるべく「福田」表記でいこうと思います。
「乃木将軍と旅順攻略戦」(『中央公論』臨時増刊『歴史と人物』一九七〇(昭和四五)年一二月刊)という文章があります。
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・・・・・・旅順の戦績を訪れようと思つた。昭和十七年秋の事である。その頃、国民は戦勝に酔つてゐた、少なくとも負け戦(いくさ)だといふ気持は一般になかつた。が、知識層の中では太平洋戦争開始を悲観的に考へる者が少なくなかつた事は改めて言ふまでもない。私もその一人であつた。
(『福田恆存評論集 第八巻』(麗澤大学出版部 二〇〇七(平成一九)年 三二九頁 傍線は引用者による)
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真っ赤なウソです。
過去ログにもありますように
「決戦下精神上の問題 日本文化の知的参謀本部」(『日本学芸新聞』一九四三(昭和一八)年四月一日) その7 福田恒存 - 核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ (hatenablog.com)
戦時中の福田は「日本文化の知的参謀本部」と自称する団体に属し、前半は小林秀雄への追従、後半は乃木希典への礼賛を連呼する発言を、わざわざ許可を求めてやっていました。そして直前の小林秀雄の発言というのは、軍人を「達人」や「神様」になぞらえることで彼らへの批判を封殺する、言論統制としかいいようのない代物でした。
どこに「悲観」があるのでしょうか。それ以前に、こういう人間に「知的参謀本部」だの「知識人」だのと名乗る資格があるのでしょうか。
小林秀雄はウソをつく時に、「言ふまでもない」「知れ切つた事だ」を連発して、読者を黙らせる悪癖があるのですが、福田にも同じ癖があるようです。
当時の新聞雑誌を見れば一目瞭然なのですが、当時の自称知識人の大半、少なくとも小林と福田は、太平洋戦争をわが世の春とばかりにはしゃいでいました。戦後の全集ではそれらの文言を削除したり書き換えたりして(『福田恆存評論集』もその一つです)、戦後の無知な自称知識人をだましているだけです。
福田のウソについて書けばきりがないので、今回はこのへんで。