まさか、名前そのものがウソだったとは。福田のウソには慣れていたつもりですが、これには驚かされました。
戦後の福田恒存(引用文や書名以外はこの表記にします)は旧字旧かなにこだわり(あるいはそういうポーズをとり)、私の手元にある平成十九年刊行の本にも『福田恆存評論集』と書かれています。
よほど戦前・戦中の伝統を大事にする人なのかと思いきや、戦時下の『日本学芸新聞』(一九四三(昭和一八)年四月一日号)の、
「決戦下精神下の問題 日本文化の知的参謀本部」
と題された記事の、戦争協力を誓った出席者の一覧には。
福田恒存
とあります(ふくは旧字体ですが、つねはどうみても「恒」)。
彼は中島健蔵、三枝博音、小林秀雄、今和次郎とともに率先して、戦争協力への抱負を語ってもいるのですが、そこの表記も、
福田恒存氏
です(こんなに大きい字ではありませんが、「恆存」でないことは明らかです)。
たぶん自分の名前がメディアに載り、戦争協力ぶりを軍部にアピールできさえすれば、表記も国語もどうでもよいと福田は考えていたのでしょう。もちろん、上記の記事は、『福田恆存評論集』などの、戦後に出た本には収められていません。