今回は『定本柳田国男全集 第31巻』より。初出である『新女苑』1945年3月号との照合はまたの機会に。
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勇士烈士は日本には連続して現はれて居る。特に多数の中から選び出されるのでは無く、誰でも機に臨めば皆欣然として、身を投げ義に殉ずるだけの覚悟をもつて居る。又さうで無ければ個人の伝記であつて、御国柄といふことは出来ぬであらう。
古い戦史を読んで見ても、小さい領域でならば死に絶えるほど人が討死にをした例は幾らも有る。しかも其為に次の代の若者が、気弱くなつたといふ地方が無いのである。勇士烈士をして安んじて家を忘れしめ、子孫を自分の如く育て上げるだけの力が、後に残つた女性に在ることを信ぜしめて居たのである。今度はその証拠を算へきれないほど我我は見出して居る。
女性の職分は戦時に入つて、内外に非常に増大した。その上に又苦悩は多い。それにも拘らず、もうこの次のものは用意せられているのである。深い感謝を寄せざるを得ない。
たゞし家々の事情は一様ではなく、力の足らぬ者と余裕のまだ少し有る者が入りまじつてゐる。之に均衡を与へるには、女性が今一段と心広く、よその家々の疎開児童の、勇士烈士となり得るだけの計画にもう少し参加するやうにしたいと思ふ。母といふ国民の道徳は、斯ういふ時代に於てもなほ錬磨せられる必要がある。
栁田国男「特攻精神をはぐくむ者」『定本柳田国男全集 第31巻』四九七ページ
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……疎開児童にまで特攻精神をはぐくませようとはあきれた話です。
こういう学界ボスが、何の反省もないまま戦後にも君臨し続け、まるで民衆の味方であるかのように誤解され続けているのは、実に醜悪な光景です。
私は、柳田民俗学を学問とは認めません。