「世間で名作だと言われていたって、つまらない時はつまらない、と言っていいのである」(5ページ 巻頭解説)という主張には共感します。
ただ、特に小谷野氏の発言に顕著なのですが、「自分は〇〇でないから、〇〇を書いたこの名作はわからない」という、体験外だからわからないという趣旨の言が多いのはどうかと思いました。学者を自任する方としてそれはどうなのかと。感情移入とか類推とかによって、体験外のことを「わかった」気になることこそ、文学を読む楽しみだと思うのですが、どんなものでしょうか。
「世間で名作だと言われていたって、つまらない時はつまらない、と言っていいのである」(5ページ 巻頭解説)という主張には共感します。
ただ、特に小谷野氏の発言に顕著なのですが、「自分は〇〇でないから、〇〇を書いたこの名作はわからない」という、体験外だからわからないという趣旨の言が多いのはどうかと思いました。学者を自任する方としてそれはどうなのかと。感情移入とか類推とかによって、体験外のことを「わかった」気になることこそ、文学を読む楽しみだと思うのですが、どんなものでしょうか。