核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

小谷野敦・小池昌代『この名作がわからない』二見書房 2019 その2

 「世間で名作だと言われていたって、つまらない時はつまらない、と言っていいのである」(5ページ 巻頭解説)という主張には共感します。

 ただ、特に小谷野氏の発言に顕著なのですが、「自分は〇〇でないから、〇〇を書いたこの名作はわからない」という、体験外だからわからないという趣旨の言が多いのはどうかと思いました。学者を自任する方としてそれはどうなのかと。感情移入とか類推とかによって、体験外のことを「わかった」気になることこそ、文学を読む楽しみだと思うのですが、どんなものでしょうか。