山田俊治『福地桜痴』をもとに年表を作成してみました。
1867(慶応3) ナポレオン兵法を翻訳出版
1868(慶応4=明治元) 幕府海軍による防備の策を進言、斥けられる
1877(明治10) 西南戦争。鹿児島士族を「暴徒」とする記事
記者として従軍。
「いくさ見物はなかなかおもしろく」(妻への手紙より)
1882(明治15) 朝鮮で壬午事変。「戦争は最終方法」と非戦論を展開
1884(明治17) 欧州の侵略主義を批判するが、軍備廃絶論には至らず
朝鮮で甲申事変。「平和の談判」を主張。
1894(明治27) 日清戦争。戦争を是認する小説・劇・歌を発表。
「君のためなら いのちをすてよ
くにのためなら 身ををしむなよ」(「唱歌旭日歌」)
1902(明治35) 日英同盟。「戦はずして別国の野心を制」するものと評価
小説『女浪人』。非暴力的だが結末では日清戦争を是認
1904(明治37) 日露戦争。衆議院議員当選。歌舞伎「艦隊夜襲誉」
最後の小説『元寇物語』『鎮西対外談』
1906(明治39) 死去
……どうにも無節操な印象を受けます。平和主義的なことも言ってはいるのですが、首尾一貫とは言い難いようです。