核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

「決戦下精神上の問題 日本文化の知的参謀本部」(『日本学芸新聞』一九四三(昭和一八)年四月一日) その3 中島健蔵

 「1946年、日本著作家組合創設。書記長となった。同年、野上彰の「火の会」に参加する。第二次世界大戦に協力した文化人の指弾にあたった」(ウィキペディア中島健蔵」の項より)という人物。同記事には次のような記載もあります。

 

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 戦時中、作家の中河与一が、左翼的な文学者の「ブラックリスト」を警察に提出したという噂が戦後流れた。これも一因となって中河は文壇からパージされたと言われる。しかしこれは平野謙によるデマで、自身の戦争協力を隠蔽するための工作だったと言われ、中島もこれに加担していた疑いが濃い。戦後の、戦争責任追及行為は、中島の戦争協力を隠すためだったとする見方が今では有力である(森下節『ひとりぽっちの闘い-中河与一の光と影』)

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 どうやら自分の戦争協力を隠すために、他人のそれを指弾する側に回った人のようです。戦時下の「決戦下精神上の問題」での発言を読む限りでも。

 さらに戦後には「1956年日中文化交流協会に参加(のち、理事長となり、文化大革命についても肯定的な発言を行った)」ともあります。文化大革命の悲惨については記すに堪えないので、リンク先をご覧ください。推定死者数は2000万人に及ぶそうです。

 安全な場所から戦争や独裁を賛美する癖というのは、一度ついたらやめられないようです。