西川長夫が述べた、代案を出すことを拒否する第二の理由を再掲します。
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第二は、歴史の考え方にかかわってきますが、歴史にはつねに意外性があって、とりわけ現在のような五百年来の大転換期にあっては、未来の予測は困難である。ウォーラーステインはそのことを、プリゴジンの理論を借りてバイファーケーションという用語で説明しています。そういう時代にあっては、一歩一歩、視野を切り開いて、その度ごとに道を選らんで進むしかないのであって、もし一挙に代案を出せる人がいたら、多分それはいんちきだと思います。
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納得できません。未来の「予測」が困難なのはその通りでしょうが(マルクスの予言はすべて大はずれでした)、それがなぜ「代案」を出すことを拒否する理由になるのでしょうか。
予測と代案、「こうなるだろう」と「こうあるべきだ」は明らかに別のものです。
なお、ウォーラーステインの本は図書館にあったので、いま西川著と並行して読んでいるところです。そちらの感想もまたいずれ書きます。