核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

『機動戦士ガンダムSEED』(二〇〇二~二〇〇三)における復讐の連鎖

 最新作『水星の魔女』は見てないので(興味はすごくあるのですが)、昔のガンダムの話を。

 実は『SEED』も本放送は見てなくて、『第3次スーパーロボット大戦α』というゲームで知り、ネットで補完したあらすじであることをお断りしておきます。

 幼なじみの友でありながら、それぞれ敵対する勢力のガンダムに乗って戦うはめになった、キラとアスラン。お互い、なんとかして友との戦いを避けようとするのですが、戦争は激化し、ついにキラとアスランはそれぞれお互いの友を戦死させてしまいます。

 そしてキラをも殺した(と思い込んだ)アスランは、戦争で祖国を失った、カガリという少女に救われます。事情を聞かされたカガリアスランを問い詰めます。

 

   ※

 「殺されたから殺して 殺したから殺されて
  それで最後は本当に平和になるのかよ!」

   ※

 

 カガリの言葉に動かされたアスランは、やがて生きていたキラと和解し、戦争そのものを止める道を探そうとするのでした・・・・・・(新たなガンダムを駆って、というところが、このシリーズの宿命ですが)。

 それが伊藤野枝と何の関係があるのかというと、今のところ何も。

 カガリの言葉はアスランのみならず私をも動かしたわけですが、たとえば火つけ彦七をも動かせるか。「差別されたから差別して!火をつけられたから火をつけて!それで本当にいいのかよ!」とかカガリに言われても、彦七は放火を止めないでしょう。

 ただ、私にとって、「戦争や差別や暴力はなぜいけないのか」という問いの答えは、そのあたりにあるようです。なんとか論文にまとめたいものです。