核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

戦時下の渡辺慧(わたなべ・さとし)

 湯川秀樹との対談で小林秀雄がやたら持ち上げていた、渡辺慧という人物。

 ウィキペディアで読める略歴にはこうありました。

 

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 こうした理論的活動にとどまらず、実践的な著作も少なからず発表しており、戦時中においてもリベラリズムを貫き、『科学日本』、『帝大新聞』、『科学人』等の各誌で、戦争に協力した科学者を批判する。

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 「戦時中においてもリベラリズムを貫き」「戦争に協力した科学者を批判」ですか。

 さっそくデジタルコレクションで検索したところ、上記文中にもある『科学人』が見つかりました。

 精神主義を批判し、打算的ともいわれる合理主義を打ちたてようとする論旨、幸先はよさそうでしたが。

 

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 ヒットラーの他人に真似の出来ない点はその打算の正確さであるとはヒットラーに親しい人の証言である。我国なぞでは「ナチ魂」や「独逸精神」に許り兎角感心するが、魂や精神なら我々の方がづつと優れて居る。我々が学ぶべきは「ナチ的打算」であらう。

 渡辺慧「日本の科学の為に」『科学人』(一九四一(昭和一六)年四月号 七五頁)

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 よりによって、渡辺慧が学ぶべき例で出したのはヒットラーでした(「ッ」の字が小さいのは原文のまま)。そりゃ、「ヒットラーに親しい人」が、彼の非合理性を日本人にしゃべるわけがないでしょ。個性の大事さを説く文脈でも、

 

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 ヒットラーは強い個性の権化であるが、日本に一体ヒットラー程の確固たる個性の持持主があらうか。日本がドイツの科学を羨むならば、ドイツの所謂全体主義を翻訳するよりも、ドイツの個性を学ぶ方が近道であらう。

 前掲渡辺論 (七五~七六頁)

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 そして結論は。

 

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 真に日本の科学の発展を祈るものは、支那・印度に汚されない神ながらの日本人に還り、我々の日常生活の中に科学が芽生へるに応しき温床を作るべきである。

 前掲渡辺論 (七七頁)

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 ヒットラーの打算と個性を讃え、神ながらの日本人に還れと説く渡辺慧の、どこが「戦時中においてもリベラリズムを貫き」なんでしょうか。ウィキペディアもあてにならないという好例です。同じくヒットラーを讃えていた小林秀雄が持ち上げるだけのことはあります。