『日本近代文学』1974年10月、90~104頁。ネット上で読めました。
湯川秀樹との対談への言及もあったのですが・・・・・・残念ながら、「小林秀雄を批判することは容易ではない」式の、ひたすら小林秀雄およびベルグソンの自由観を讃え絶対化する文章で、それへの客観的な分析はあまり読み取れませんでした。残念です。
私は、清水論が否定した立場、つまり「外側から」小林秀雄やベルグソンを相対化し批判する立場、をとります。ベルグソンはともかく、小林の自由観(というよりも宿命観)が危険であることは以前にも論じたようですが、いずれ当ブログでもじっくり論じ直します。
そして次は湯川秀樹の自由論を読んでみようかと思います。ベルグソンも。