ベルクソンの代表作『道徳と宗教の二つの源泉』から、当ブログの関心事に最も近い、戦争根絶論を紹介します。
まず戦争の原因について。
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・・・・・・われわれが前に描いた図式によって、戦争の本質的な原因は充分に明示されていよう。すなわち、人口の増加、販路の喪失、燃料および第一次原料の不足がそれである。
中央公論社『世界の名著53 ベルクソン』(一九六九(昭和四四)年)より 『道徳と宗教の二つの源泉』五一二頁
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では、そうした原因で起る戦争を根絶するには。
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こうした原因を除去すること、あるいはその帰結を軽減することーまさしくここにこそ、戦争の根絶を志す国際機関の仕事中の仕事がある。
(同書五一二頁)
国際機関はさまざまな国の立法に、いなおそらくは、その行政の内部へまでも権威をもって干渉しなくてはならない。、ーそこまでしなくても究極の平和は得られる、と考えるなら、それは実に危険きわまりない錯誤である。
(同書五一三頁)
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戦争の根絶を願うなら、国家は主権の一部を国際機関(一九三二年の著作なので国際連盟ですね)に譲渡しなければならぬ。というのがベルクソンの考えでした。
一九三二年なら日本が満州事変を起こす翌年で、一九三三年にはナチス政権が成立するわけですが、そうした、国際機関の干渉に応じない、軍事独裁国家に対してはどうするのか、という疑問が残ります。
「それは矢野龍渓が半世紀前に通過した場所だッッッ」
とまでは言いませんが、国際機関による平和という構想の問題点は、政治小説『経国美談』後篇(一八八四)でも指摘されていました。国際機関や国際世論を無視する軍事独裁国家は権威だけでは止められず、結局は「戦争を止めるための戦争」を必要としてしまう、という問題です。ベルクソンはそれに答え切れていないようです。
決して、国際機関やベルクソンの論を軽視しているのではありません。ベルクソンの誠意は疑えませんが、国際機関に権威を集中するだけでは、戦争の根絶には至らないと言いたいのです。