『白く塗りたる墓』(一九四八)収録の、「論理の暴力について」という文章の冒頭で、福田は出典を示さずに、「知識人は中間者であって階級ではありえない」という趣旨の引用をしています。誰の言葉かと思ったら、
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今日において階級とはブルジョワジーとプロレタリアトとのいづれか二つしかありえず、他のいかなる共通利害を有する集団も、この二つのいづれにか身を寄せることによつてしか、自己の利害を正当に計量しえようはずはないのだ。
といふのは、この事実を諒解するのに、いまさらスターリンのことばなど必要としないといふことにもなる。
(六三頁)
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わわわ、ソ連の独裁者スターリン!福田恒存は自身の意見がスターリンと同じでであることをもって、自明の真実であると誇っているのです。
福田は戦争協力者からスターリン主義者を経て、自称保守派知識人へと変節を重ねたわけですが、前回も書いた通り、根っこは変わってないと思います。つまり、日和見主義者です。強そうな者にこびへつらって弱そうな者にいばりちらす、スネ夫のような性格です。
戯曲でも、ライフル魔や億万長者夫人に自らを擬して、福田の脳内にしか存在しない「弱者」たち相手に威張り散らす、福田以外にはまったく面白くない自称喜劇か、シェイクスピアの盗作のような自称悲劇しか書けないのです。
もしこういう人が政権に関与していたら、それこそスターリン政権やポル・ポト政権のような惨禍が日本を襲っていたことでしょう。被害が文学や演劇の世界だけで済んだのは不幸中の幸いです。