平和論と文学と経済を行ったりきたりの当ブログですが、今日は経済、それも貨幣論にしぼって読書する一日にしようかと思います。
この『貨幣とは何だろうか』も、谷崎潤一郎「小さな王国」論を書こうとしていた時に買った本です。本棚の奥から引っ張り出して読み返しました。
ジンメル『貨幣の哲学』、ゲーテ『親和力』など、長く重い本を参照先としています。昔ジンメルもゲーテも図書館から借りて読んだまでは記憶しているのですが、内容はほぼ完璧に忘れてました。
もう一つの参照先が、ジッド『贋金つくり』。ちょいワル系の文学少年たちの、リレー式に視点人物が代わる実験小説です。日本でも小林秀雄「私小説論」で取り上げられ、横光利一に影響を与えたこともあり、これは岩波文庫版で買って熟読しました。
今村著の結論は、「貨幣なき共同体」をめざすユートピア主義は、必ず悲惨な結末を招くということです。マルクスら社会主義者のみならず、ミル、ワルラス、ケインズといった自由主義者たちも例外ではないと。貨幣という不純な媒介物は、人間にとって不可欠らしいのです。
ジンメル『貨幣の哲学』やゲーテ『親和力』は読んでいないにひとしいので、にわかにこの結論に同意はできませんが、うなずけはします。
ところで、ジッドの作品名。『贋金つくり』と『贋金つかい』の二つの訳題がありますが、原題はどっちなんでしょうか。貨幣贋造と贋造貨幣使用では罪状からして違うだろうし、たしかジッドの作品内でも、製造者と使用者は違う人物だったはずなのですが。