核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

村井弦斎、百人一首を罵倒する(『酒道楽』より)

 村井弦斎光源氏批判は前にも引用しましたし、『食道楽』では風流亡国論を掲げる人物も出てきます。雅びやかな王朝文化といったものに、実用主義者の弦斎は反感を持っていたようです。

 以下に引用する『酒道楽』の一節では、百人一首の恋の歌を「野蛮」と一蹴しています。

 

   ※

 弟「今とった百人一首のお話が聞きたいことネー、姉さん忍ぶれど色に出にけり我恋は物や思うと人の問うまでというのはどういう訳ですか」

 鈴子嬢当惑顔「(略)その歌は先ず野蛮人の歌で野蛮人は禽獣と同じように物の道理が分からないから他人の物を盗んだり、外の部落を攻めたり、乱暴狼藉な事をしましょう、譬えばその野蛮人が隣の部落に好い桃がなっている、あれをどうかして取りたいものだと独りで考えていると外の人が何を考えると聞くからモー自分の思う事が人に知れたかと驚いたというような意味です」

 弟「それではネ、相見ての後の心に比ぶれば昔は物を思わざりけりというのは」

 鈴子嬢「それも似たような訳で、その桃を盗み取ってみたところがどうかしてそれを安全に家まで持って帰ろうという心配はその以前どうかして盗もうと思った時の心配よりも多いという事です、(引用者注、」の誤りか)

 弟「恋すちょう我名はまだき立ちにけり人知れずこそ思いそめしがというのは」

 鈴子嬢「それもやっぱり野蛮人の歌で自分独りが桃を盗もうと思うと何時の間にか人に知れて評判が立ったという事です」

 村井弦斎『酒道楽』(岩波文庫 二〇〇六(原著一九〇二) 四〇~四一頁)

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 いいなあ。ある意味痛快です。この調子で村井訳源氏物語とか書けそうです。

 痛快ではあるのですが、一九〇二(明治三五)の明治時代が、野蛮でないかというと、疑問です。先の引用の「桃」を、「朝鮮」に置き換えると、ほぼ明治政府のやってきたことにあてはまってしまいます。

 正直なところ、ゲーム作成のために与謝野訳源氏物語をぱらぱらと見ているうちに、私もちょっとだけ王朝文化に同情心が出てきまして。恋と歌で問題を解決する文化は、果たして陸海軍で問題を解決する文化よりも野蛮でしょうか。