核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

山県有朋の甥にして養子、山県伊三郎

 とりあえず、ウィキペディアの同項より。

 

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 山縣 伊三郎(やまがた いさぶろう、安政4年12月23日(1858年2月6日) - 昭和2年(1927年)9月24日)は、日本の官僚。元老山縣有朋の養子で公爵を継いだ。旧姓は勝津。妻は加藤弘之の娘の隆子。息子は有道、三郎と養子の有光。

 略歴
 長州藩藩士勝津兼亮と山縣有朋の姉・壽子の間に次男として生まれる。明治維新の立役者の一人であった有朋には三男四女があったが、次女以外夭折して山縣家を継ぐべき子供がいなかったため、甥である伊三郎を養子とした。

ドイツ留学後、内務官僚として徳島県知事、三重県知事、内務省地方局長、内務次官などを歴任した。明治39年1906年)に第1次西園寺内閣で逓信大臣として入閣。しかし、鉄道建設に関する予算問題をめぐって大蔵大臣の阪谷芳郎と対立した末、明治41年(1908年)1月に逓相を辞任している。同年7月7日、貴族院議員に勅選された

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 なんでこの人物が気になったかというと、福地桜痴政治小説『仙居の夢』に、「闇雲伯」(山県有朋がモデル)の甥の甘井仁太(あまい じんた)という候補者が、不正な手段で衆議院議員に当選するという挿話がありまして。

 伊三郎は衆議院議員にはなっておらず、名前ももじりになっていないので、福地が伊三郎をモデルに甘井仁太を造型したという説は成り立たないようです。