核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

太平洋戦争についても、大多数の日本人は知らないのでは

 前回、「大多数の日本人は、太平洋戦争以外の戦争について知らなすぎます」と書きましたが、よく考えたら、太平洋戦争についても、知られてはいないようです。

 「何言ってるんだ。特攻隊や原爆の悲惨さは、しょっちゅうテレビでやってるじゃないか」と言われるかも知れませんが、それらは戦争の結果であり、被害者側から見た戦争です。

 私が「知られていない」というのは、戦争の原因であり、加害者側から見た戦争です。北原白秋小林秀雄が開戦前からナチスを讃え、日米開戦論を訴えていたことは何度も書きましたが、彼らなどは下っ端の小悪党にすぎません。本当の責任者は……。

 テレビや新聞が毎度のように戦争の被害「だけ」を報道し、本当の加害者、戦争の最高責任者について論じないのも、日本国憲法第一条という縛りがあるからでしょう。私は護憲派ではありますが、憲法を不磨の大典とまで崇めているわけではないので、はっきりと書きます。タブーにとらわれず、昭和天皇の戦争責任を問うべきであると。

 これを書くと、各方面から罵倒を浴びそうです。「貴様はそれでも日本臣民か」「自民党改憲派を利するつもりか」……。私は臣民ではなく「日本国民」と自らを規定していますし(ああ、また新たな敵が増える)、平和主義や国民主権基本的人権を破棄したくてしかたがない改憲派を利するつもりもありません。それら日本国憲法の大原則に照らして、戦争という事態を問い直すべきだと言っているのです。

 「後から出来た憲法で、それ以前の戦争をさかのぼって裁くのはおかしくないか」というご意見もあるかとは思いますが、「裁こう」ではなく「問い直そう」というのが私の主張です。それに、「平和主義」という日本語やその理念は、少なくとも大日本帝国憲法(一八八九(明治二二)年公布)以前にはさかのぼれます。上から力ずくで押しつけ、結局たいして定着もしなかった天皇制よりも、下からわきおこった平和主義のほうに、私は正統性を見ます。

 西暦で5のつく年になるたびに、「戦後〇十年」と称して、戦争の被害者「だけ」をクローズアップし、戦争の最高責任者には一言もふれない、まさに「戦後的」な言語空間に、私は正直うんざりしています。そんな「戦後」を「世界平和前」に変えるためには、戦争の原因を一つ一つ、なくしていかなければなりません。