核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

そもそも、なんで小林秀雄を研究しようと思ったのか。

 結局、論文は昨日中には完成しませんでした。今夜はひさしぶりに徹夜しそうです。
 表題の件に入ります。
 あらためて確認しますが、私の文学研究者としての最大のテーマは、「戦争と差別をなくすために、文学は何ができるか?」というものです。
 大学院博士課程後期入学から7年ほど、私は「明治の平和主義小説」を題材として(この表題に決定したのは最近ですが、題材はずっとそのあたりです)、戦争と差別をなくすために書かれた新聞小説を継続的にとりあげてきました。公的な学会発表が3回に掲載論文が2本と、量は多くないものの、お越しいただいた方々にはおおむね満足いただけたかと思います・・・2名を除いて。
 その2名について書き出すと、感情のコントロールが効かなくなるので手短にします。
 彼らの1人は、「明治23年時点での大隈重信山県有朋派だった」と主張し、もう一人は「スターリン実証主義者だった。だから実証は暴力だ」と主張していたといえば、彼らのレベルがおわかりいただけるでしょうか。
 その2人がことあるごとに、私のみならず後輩たちにでたらめな「指導」をくり返し(念のために書いておきますが、私は彼ら二人より「先輩」なのです。私は先輩風をふかせたりしなかったのですが、するべきだったと後悔しています)、二人で心から楽しげに、半日にわたって後輩を「つぶす」相談をしているのを見て(福地桜痴論のしめきりがせまっていたので、私は研究室を出るわけにはいかなかったのです)、私は心から研究者生活に、というよりも彼らと同じ人間であること自体にいやけがさしたのです。
 で、アルコールにおぼれ、自殺願望にとりつかれたあげく入院と。この話もいずれ語りますので手短に。
 退院後、私はある計画を立てました。彼らの専門である昭和文学のメジャーどころで、圧倒的な研究能力の差を見せつけてやれば、2人も己の無能さに気づき、反省するのではないかと。
 よし、文学が戦争を阻止できることを信じないやつらに、文学が戦争を引き起こした実例を見せてやろう!
 
 ・・・私がアホでした。研究者としてではなく教育者として。
 まだ望みを捨てているわけではないので、とりあえず小林秀雄論文はがんばって完成させ、投稿します。
 ( 2022・2・13 追記 無用のことを書いたので削除します)