7月29日の記事(http://blogs.yahoo.co.jp/fktouc18411906/archive/2011/07/29)で書きました圧制者クリティアスの穏健派テラメネス粛清事件について、新たな史料を見つけたので報告します。
ディオドロス(前1世紀中頃、つまりローマ時代の歴史家)の『歴史叢書』第14巻より。近場の図書館にはおいてないので、例によってバルバロイ様の名訳をお借りします。
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http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/diodoros/historica14_01.html
歴史叢書 第14巻
第4章
[5]そこで、テラメネスが同僚の支配者たちに逆らって、救済を求めている者たちといっしょになって自衛するぞと脅したので、「三十人」は評議会を開催した。そして、彼らの指導者であるクリティアスが、この男〔テラメネス〕はみずから進んで国制に参与しながら、その国制を裏切っていると、じつに多くの点でテラメネスを告発したとき、テラメネスはその発言を受けて、細々した点ついても弁明し、評議会全体の好意を得た。[6]対して、クリティアス一派は、もしや寡頭制を解体するのではないかとの恐れをいだき、抜き身のままに戦刀を携えた将兵たちに取り囲ませ、テラメネスを逮捕しようとした。(略)
第5章
(略)[2]しかし、哲学者のソクラテスと、親しい者たちの中の二人とが、駆け寄って従士たちを妨害しようとした。だがテラメネスが、そんなことを決してしてくれるなと懇願した。なぜなら、あなたがたの友愛と勇気はありがたいが、自分のせいで、かくも親しい人たちが死ぬようなことになれば、それこそ自分にとって最大の災禍だから、と。
(略)[2]しかし、哲学者のソクラテスと、親しい者たちの中の二人とが、駆け寄って従士たちを妨害しようとした。だがテラメネスが、そんなことを決してしてくれるなと懇願した。なぜなら、あなたがたの友愛と勇気はありがたいが、自分のせいで、かくも親しい人たちが死ぬようなことになれば、それこそ自分にとって最大の災禍だから、と。
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身を挺してテラメネスを救おうとしたという上記の挿話もありそうな話ではあるのですが、クセノフォンやプラトンには出てこない話ですので、ディオドロスの出典が何なのかが気になるところです。残り2名が何者なのかも。