まだ蛙トーク続けるの!?今回で最後です。まず前回名前が出てきた、乱世の梟雄アルキビアデスのこの時期の動向について、手短に説明します。
当代屈指の英雄でありながら、部下の敗戦の責任を負わされて失脚し、彼は人生二度目の亡命の日々を送っていました。その後、スパルタとの戦局が悪化するにつれ、「アルキビアデスさえ生きのこっていてくれれば、まだアテナイの町はことごとくほろびさりはしないという希望」が、市民の間で広まっていたわけです(安藤弘訳「アルキビアデス」 『プルタルコス英雄伝(上)』ちくま文庫 1987)。
で、『蛙』作中での二大詩人の回答は。
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エウリーピデース 祖国を利するには遅く、大きな害を与えるのは早い(略)こう判明しそうな市民をわたしは嫌悪する。(略)
アイスキュロス いちばんよいのはライオンを市の中で養わぬこと。だが育ててしまったらその気性に仕えねばならぬ。
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・・・「×」「○」、ということでしょうか。ディオニューソスはアイスキュロスの「いまわれわれが信じている政治家を信頼せず、用いていないものを任用すれば救われるだろう」という言を容れ(やばくね)、アイスキュロスを現世に連れて帰ることにします。ここで違約をなじるエウリーピデースに、ディオニューソスは「誰か知ろう、生きるとは死ぬこと」とエウリーピデース自身の詩句で応じます。おあとがよろしいようで。
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コロス まずはよき旅路を、地下の神々よ、陽のもとに向かい去り行く詩人にかなえよ、また市には、大いなる幸を生む幸いなる考えを!そうすればわれわれは、大いなる禍を、また武器打ち合う戦闘を、すっかり止められるだろう。
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・・・『蛙』は反戦劇じゃないって前に書いたけど、最後はちゃんとしめてくれました。さすが。