核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

トルストイ 『戦争と平和』 その4 歴史上の宿命論編(仮)

 まさか、「フジテレビの~」氏まで来なくなるとは。不人気にもほどがあるこの企画ですが、始めた以上は最後まで続けます。「核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ」に期待してくださっていた方々には申し訳ないのですが、私にとってはトルストイを読むのも廃絶への道なのです。即効性に欠けることは否定しませんが、核兵器や通常兵器を生み出したものへの考察なくして、安定した平和はないと考えております。
 2冊目(第3巻)突入ですが、8ページ目(実質3ページ目)あたりの作者の言にどうにも賛成できないものを感じました。1811年のナポレオン軍とロシアの戦争について。
 
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 戦端が開かれた。すなわち人間の理性と、あらゆる人間の天性に反する事件が行われたのである。(略)その原因はなんであろう?(6ページ)
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 語り手は数々の原因を挙げます。ナポレオンの権勢欲、アレクサンドル(1世。ロシア皇帝)の強硬態度、フランス革命という遠因。そして、語り手はそれらの「原因」を、「理解できない」と言います。
 
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 もしナポレオンが、(略)軍隊に進撃を命じなかったら、戦争はおこらなかったであろう。しかし、もしすべての軍曹が再度の勤務を望まなかったとしても、やはり戦争はおこり得なかったであろう。(7ページ)
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 語り手は無数の細々とした(上の軍曹集団ストライキの例でわかるように、ありそうもない)理由らしきものを挙げ、「王は歴史の奴隷である」と結論します。戦争が起きたのは両国元首の自由意志ゆえではなく、彼らもあずかり知らぬ歴史の必然的法則によると。人間たちは「自由ではなく、歴史の全行程と関係して、開闢(かいびゃく。世界のはじまり)以前から決定されていたものなのである」(8ページ)と。
 ・・・こんな愚論を聞くために、私はトルストイを読んでいたのではありません。
 別にナポレオンやアレクサンドルを英雄とたたえたいのではありません。その逆です。彼らだって意のままにならないことはあるだろうし、予想に反して望まない戦争を起こしてしまった、ということもあるかもしれません(1812年の戦争がそうかは別として)。だからといって、彼らの歴史への影響が「出征する各兵の行動と同様、ひじょうに自由を局限されたものであった」(7ページ)ことにはならないのです。無数にある原因すべてを理解することは何人にも不可能でしょうけど、だからといって明確な原因まで無視していいことにはならないのです。
 トルストイは良心的な平和主義者として知られていますし、日露戦争期には明確に反戦を訴えてもいます。はたして上記の宿命論は気の迷いなのか。とりあえず最後まで読みます。