まず、河合が深く共感したという、ローゼンベルク『ボルシェヴィズムの歴史』(1932)の内容から。
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「ボルシェヴィキがロシア革命を作りだしたのではない。レーニンとトロツキーは、一二時には無秩序な大暴動が起ることを察知したからこそ、一二時五分まえにボルシェヴィキの蜂起を宣言して、一二時の巨大なできごとがかれらの指令によって生起したかのような、印象を呼びおこしたのである」
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実際、ロシア帝国を崩壊させた三月革命の勃発時にはレーニンらは亡命中でして、その後の十一月革命と呼ばれる武装蜂起でボルシェヴィキ(レーニン派)はケレンスキー臨時政府から政権を奪ったわけです。五分前どころか遅刻です。