核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

河合栄治郎のソ連観(松井慎一郎『河合栄治郎 戦闘的自由主義者の真実』(中公新書 2009)より

 以下は河合栄治郎コミンテルンの崩壊」(『社会政策時報』一九三三年三~五月号)の概要なのですが、原文未見につき松井慎一郎氏の要約によります。
 まず、河合が深く共感したという、ローゼンベルク『ボルシェヴィズムの歴史』(1932)の内容から。
 
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 「ボルシェヴィキロシア革命を作りだしたのではない。レーニントロツキーは、一二時には無秩序な大暴動が起ることを察知したからこそ、一二時五分まえにボルシェヴィキの蜂起を宣言して、一二時の巨大なできごとがかれらの指令によって生起したかのような、印象を呼びおこしたのである」
 (『河合栄治郎 戦闘的自由主義者の真実』196~197ページより)
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 実際、ロシア帝国を崩壊させた三月革命の勃発時にはレーニンらは亡命中でして、その後の十一月革命と呼ばれる武装蜂起でボルシェヴィキレーニン派)はケレンスキー臨時政府から政権を奪ったわけです。五分前どころか遅刻です。
 では、レーニンが功労者でないとしたら、ロシア革命とは何なのか。河合栄治郎
ロシア革命を「一定の信条の下に働いた革命と云うよりも、暴動一揆と云うに近い」「現実の露西亜は凡そ共産主義とは似もつかない」と断言します。そうしたソ連体制への疑惑は、1932年のソ連への訪問(団体旅行なので、ボルシェヴィキに都合のいいとこばかり見せられたはずですが)の後も変わることはありませんでした。
 最晩年には衰えたにしても、マルクスレーニン主義全盛の時代にソ連をここまで批判した、河合の気骨はやはり稀有だと思うのです。