第六章「義務と責務」の第56節「良心的拒否の定義」より要約してみます。
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(「良心的拒否」の例として)軍務に就くことを渋る平和主義者のケースや、下された命令は戦争に適用される道徳法則に明白に反するという考えからその命令に従うことを嫌う兵士のケースがある。(略)
正義にかなった戦争があるとして、平和主義者はそのような戦争の兵役から免除されるのか。それとも国家は不遵守者に対して一定の辛苦を課すことが許されるのか。法は良心の命令をつねに尊重しなければならないと言いたいところだが、それはありえない。不寛容のケースで見たように、法秩序は人びとが宗教上の利害関心を追求することを平等な自由の原理の実現のために統制しなければならないのだし、極端なケースで言えば人身御供のような宗教上の実践・慣行をもちろん禁止してよい。
(略。平和主義が寛大に取り扱われるには、それが正義にかなった戦争に反しない限りでなければならない、との趣旨の後)
自由な社会では、初期のキリスト教徒のように平等な自由に反する宗教的行為を強いられる人はいないだろうし、当局上層部への訴えを待つ間に本質的に邪悪な指令に従わなければならない兵士も存在するはずがない。
(上掲書 487~488ページ)
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・・・賛同できない、というよりは「ズレている」印象を受けます。が、反論はもう少し読み進んで、ロールズのいう「自由な社会」や「正義の戦争」の定義がはっきりしてからにします。