核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

ロールズ『正義論 改訂版』(紀伊国屋書店 2010 原著1999)その3

 私はこの『正義論 改訂版』全編を通読したわけではありません。
 しかし、戦争に関するロールズの意見はほぼこの第六章、とりわけ第58節「良心的拒否の正当化」で尽くされているように思われます。

   ※
 もし戦争の達成目標がじゅうぶんに疑わしいものであり、目に余るほど不正な命令を受け取る可能性がじゅうぶんに大きいならば、人は拒否する権利のみならず拒否する義務を有すると言ってよい。実際、国家、特に巨大で強大な国家が戦争を実施・遂行することとその達成目標はある情況下では正義にもとる可能性がきわめて高い。そのため予期しうる未来に人は兵役をいっさい放棄しなければならない、との結論にいたらざるをえない。このように理解するならば、条件付きの平和主義の形態は申し分なく理にかなった立場であるだろう。正義にかなった戦争の可能性は認められているけれども、それは現在の情況下においてではないからである。
 すると、必要とされているのは全面的な平和主義ではなく、ある一定の情況では戦争に従軍することを拒否する識別力のある良心的拒否だということになる。
 (501~502ページ)
   ※

 ・・・「全面的な平和主義」ではなく、「正義にかなった戦争の可能性を認め」る、「識別力のある」「条件つきの平和主義」。それがロールズの立場です。少し後にはより明確に、

 「すべての戦争に従事することを拒否するのは世間離れした見解であり、偏狭な主義主張であり続ける運命にある」(502ページ)

 と述べています。
 「世間離れ」と日本語訳された箇所が原文で何なのかは気になるところですが、どうも『正義論』という題の書物には似つかわしくなく思われます。少なくとも私は、それが正義に反しない限り、世間離れや偏狭と言われることを恐れません。
 まあ、「そのへんで手をうっとけよ。今は条件付きの平和主義者だって貴重なんだからさ」という天だか魔だかの声も聞こえるような・・・。もちろん、条件付きの平和主義だって悪くはないのですが、私自身は「全面的な平和主義」へのこだわりを貫きたいのです。