斉の国で二人の公子が争った際、管仲は自分の仕えた公子に殉ぜず、もう一人の公子(後の桓公)の補佐となりました。
子曰く、「桓公、諸侯を九合して、兵車を以てせざるは、管仲の力なり、其の仁に如かんや、其の仁に如かんや」
(「桓公が諸侯を会合したとき武力を用いなかったのは、管仲のおかげだ。〔殉死をしなかったのは小さいことで〕だれがその仁に及ぼうか、だれがその仁に及ぼうか。」
(岩波文庫『論語』「巻第七 憲問第十四」より)
管仲という人は潔癖でもなく平和主義者でもないのですが、「兵車を以てせざる」点だけは評価したいと思います、そこを評価した孔子も。